2024 NEW COLLECTION
幼い私が眺めた遠い海の記憶。
沖に向かってどこまでも歩いて行けそうな景色を覚えています。
満ち引きをくりかえす海の向こうには、歩いて渡って行ったら最後、
帰っては来れず、もしくは向こうから誰かが歩いて来そうでもありました。
いつかのインスピレーションの記憶。
沖の深い濃紺には、何かが潜んで、私の知らない人生を繰り返しているのでしょうか。
絶えず海からやってくる、鱗に包まれた生き物たち。
次々と、無限に湧くような生命力。
今、その時の、煌めく一瞬の感覚を思い出すと、
深い海から感じていたのは、果てしない”連続性”でした。
私もその小さな一片に過ぎず、永遠に続く生命は私の一片でもあると。
終わることのない連続性を、その時に感じた3つの情景と共に表現しました。
波のような鱗模様
女は、ずっと遠い沖を見つめていた。
果てしなく続くその青は疑いを晴らすのに十分すぎるものだったし、
あたたかな光と反射する片鱗は彼女に勇気すらをも与えていた。
名も知れない小魚の群は強かに点滅し、
男たちは豊漁旗をたなびかせている。
女は間も無く、遠い沖の向こうの世界に行く。
それに従うように、やがて私もどこかしらへ行くことになるだろう。
「あなたには、ゆっくり進んでほしい。」
母に似た小さい祈り。
垂らした釣竿の赤い浮きは、さよならも告げず、静かに沖へ流されてゆく。
私もまた、順番に、連なって。
別れはいつでも海の向こうで、手招きしているのだから。
永遠のウロボロス
鶏が卵を産んだ。
故郷の鶏たちは、私が子供の頃から、そして父が子供の頃からずっとこの家にいる。
窓越しにみえる宇宙もまた、いつまでもどっしりと腰を据えている。
毎夜海からやって来る潮風で鶏小屋のゲージはすぐに錆びた。
しかし、鶏どもはお構いなしにずっとこの家にいる。
いや、そもそも自分には行き場すら与えられていないことを、
そして祝福は一日の中でも限られた時間に与えられるものであると言うことを本能的に知っているのだ。
今日の朝、この家に訪れた私の婚約者は、吊り目がちで、細い体に肌が白くて、何処か私の母に似ている。
庭を見やると鶏小屋の隣を蛇が通っていた。
雛は鶏になり、卵を産む。
その卵をまた誰かが飲み込み、その命を蓄えた者がまた何かしらを産みだす。
目に見えない連なりは永久に声もなく土地に染み込んでいる。
私たちは少しでも多くこの世界を知るために、静かに旅を続けた。
卵は鶏になった。
連なるクジラの背
深海3000 メートル。
瞼の裏の深淵には、巨大な気配が潜む。
フジツボがこびりつく船底。
二又の立派な尾と連なる背骨。
闇の底から、新鮮な空気を求め気配は上昇する。
こちらもそれに合わせ小さな目を瞑ってみる。
微かにあたたかい水温を感じながら、天窓から注ぐ光を追って、少しずつ生命の起源を集める。
息を吸う。
少し声が漏れたと同時に呼吸が乱れる。
緊張と緩和。
苦しみの中にもまた希望の風は吹く。
また明日も深海へ沈もうと思う。
そんな100 年をこれからも繰り返すために。